更新日:2012/07/07
ある金曜日の夕方。運転手のサリムが、勤めが引けたあとに街に行くといい、ちょうど私も隣国ウガンダからの来客を迎えることになっていたので、いっしょに出て行くことにして18時過ぎに事務所を出発した。かれは奥さんがウガンダの親族の結婚式に出席するために夜行バスで出かけるところで、その見送りに行くのだと言う。
国内各地や隣国に向かう長距離バスが発着する停車場は、ナイロビのなかでもダウンタウンと呼ばれる地区の一画にある。停車場といっても、発着するバスが停留するための広い敷地が設けてあるわけではなく、道端に所狭しと長距離バスが何台も陣取っている区画があるのであり、その区画辺りには各バス会社の切符売り場があちこちにあり、旅行客が蟻のようにその狭い入り口から出入りしている。
路上に停泊する大型バスのあいだを縫うように、通常の乗用車やワゴン車を改装した小型の乗り合い、また通行者がひっきりなしに行き来する。若い男女、母親と小さなこどもたち、勤め帰りかと思われる早足の人物、それに混じって旅行者と旅行者相手の商売人がうろうろしている。勤め人や旅行者の出で立ちは小綺麗にめかしこんでいるが、路上で働いている者たちの姿はもっとすり切れていて、荷役の男などはこれ以上破れようのないほどの穴だらけのシャツをなんとか着て、汗と埃にまみれている。話し声、笑い声、調子のいい挨拶の声、商いの呼び込み、道を開けろの声、クラクション。
ここらへんはかっぱらいや詐欺がたくさんいるんだ、とサリムは言う。かれに言わせるとナイロビじゅうにかなりの嘘つきとかっぱらいと詐欺泥棒殺人者のたぐいが棲息しているのだが、幸運なことに私はまだいちどもそれらの被害に遭っていない。たとえば、携帯電話売りがいる。片方の手にホンモノのスマートフォンを持っていて、もう一方の手には同じ型のプラスチックの殻だけ被せた硬質の粘土だ。ひっかかった客が安値でいい電話が買えると喜んで代金を支払うと、男はもう一方の泥電話を客につかませるんだ。重量がそっくりなのでこの時間帯で暗くなってくると、その瞬間にはよくわからないものだ — というような珍妙なかれの笑い話をふんふんと聞いている。
ちょうどわれわれのいる道端では、大鍋をブリキ製の七輪の炭火にのっけて旅客や労働者のための即席路上食堂の支度をしている女ひとりがいる。かの女の腹はおおきくふくらみ、妊娠しているのがわかる。われわれのいる地点から少し坂を下って行ったところには、古着のシャツを売っている路上商人がずらりとならんでいる。週末だからこのにぎわいか、それとも夜になると毎日このようなものなのか。「ここは、ナイロビでいちばん忙しいストリートだ」とサリムが言う。いわゆる中心部のKenyatta AvenueやMoi Avenue、City Hall Wayなどの目抜き通りでなくこういうところをそう言うのが、もっともらしくも聞こえるし非常にテキトーなことを言っているようにも聞こえる。
サリムが奥さんに電話する。奥さんが出るまでのあいだは、耳にあてたかれの携帯電話からイスラームの歌が漏れ聞こえている。30秒ほど早口で話し、「だから言ったろう!」と電話を切ったサリムは軽く舌打ちをした。奥さんはまだ乗り合いの中で、ようやく市街中心部にアプローチしているところだが渋滞で思うようにすすまない。金曜には渋滞がひどくなるとあれだけ言っておいたのに、私は17時にはもう家を出ろと言ったんだ、と真面目な口ぶりで言う。
路上食堂の支度の大鍋からはもわもわと湯気が立ちのぼり始めた。いつのまにか周りに何人かの浮浪児も寄ってきている。かの女はこれから朝まであそこで商いだ、とサリムが言う。けっこうリスキーな商いだ。無届けだから市役所の役人にみつかると大きなおなかで逃げ出さなきゃいけない、と笑う。女はどこからか粉袋を出してきて鍋のなかのぐらぐら沸いた湯に袋をさかさまにひっくり返してばさりと粉を入れる。「uji(トウモロコシの粉で作ったどろどろのおかゆ)だな」と私が言い「そうだ」とサリムも答えるが、女はかまわずばさばさと次々に袋をひっくり返しては粉を入れていき、粉が鍋の上まで盛り上がってしまったので、われわれは笑って「ujiじゃなかった、ugari(やはりトウモロコシ粉を練って作った固粥で、ケニア人の代表的主食)だな」。別の男が女の大鍋の脇まで大きな汚い袋を抱えてやってきて、袋のなかからなにかを手でつかみ出しては、女が粉を入れたのとは別のもう片方の鍋に入れていく。「sukuma wiki(青菜、炒めておかずに)だ!」「不衛生だあ(笑)!」。
すでに暗くなったが人出もいっこうに衰えをみせない。女は1メートルの長いしゃもじで休みなくトウモロコシの粉を入れた大鍋をかき回す。炭火の赤い火の粉が女の腰に巻いた布に飛び火しないかと少し気になる。サリムは奥さんに何度か電話をかけているが、奥さんは出ない。すでに乗り合いを降りてここまで歩いているのだろう、ダウンタウンを歩きながら電話するのはかっぱらいが怖くて出来ないんだ、と奥さんの用心を得意としているとも臆病をからかっているともとれる笑顔でかれが言う。
頭からすっぽりとbuibuiと呼ばれる頭巾をかぶった女性の二人組がわれわれの前を通り過ぎる。顔立ちから、ソマリ系だとわかる。ちかごろでは爆弾事件の影響で、ソマリ系のイスラム教徒といっしょにバスに乗るのを怖がって乗客側がソマリ人との同乗拒否をおこすケースもあるそうだ。あとから乗ってきたのがソマリ人となると、怖がって乗客が次々に降りていくということを聞くよ。かく言うサリムもイスラム教徒だ。母親が出かけるというので、4歳になる娘を預けてきた近所に暮らす奥さんの妹に電話をする。アラブ語がまじったスワヒリ語。私も来客のウガンダ人に電話するが、バスは遅れていて到着するにはまだ時間がかかる。路上食堂付近には空腹感を刺激された労働者数名がもう出来上がりを待っている姿がある。
そろそろ着いた頃だと、かれが電話をかけようとしたとき、バス会社の切符売り場の前で同じく携帯電話を取り出して電話しようとしている奥さんのすがたをサリムが見つけた。われわれはかの女に声をかけ、サリムは切符を買う手伝いをして、20分後には奥さんは大型バスのなかの席に座っていた。窓から手を振るかの女に応えてこちらも手を振る。20時前。バスが出るのはもうすこし先なので、われわれはこんどは数ブロック離れた、ウガンダからの私の客のバスが到着するバス会社の停車場に移動しようとした。すると突如われわれの目の前に、大小の薄汚れた袋を背負った30人以上の若い男たちの行列がぞろぞろと出現した。黙々と早足で歩くその行軍は異様に映る。かれらは古着のシャツ売りで袋の中には商品が入っている。ついいましがた、市役所の役人か警官が来たので、いっせいに商い道具をたたんで逃げ、場所を変えるところだったのだ。