第170回 学振ナイロビセミナー(2013年6月19日 開催)

更新日:2013/06/18

世界遺産・聖なる森・コモンズ

すっかり涼しい日が続いていますが、みなさまにおかれましてはいかがおすごしでしょうか。
恒例の学振ナイロビセミナーを以下の要領で開催しました。

■ 開催日時:2013年6月19日(水)10時 〜12時
■ 会場:日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター
■ 講師; 阿部  健一 教授(総合地球環境学研究所)

今回のセミナーは、森林エコ・ツーリズム、世界遺産、コモンズについてのお話を、阿部先生から聞きました。阿部先生は、海外青年協力隊ご出身で、1980年代よりボルネオの森林ほか、インドネシア・スマトラ、中国雲南などで熱帯林についての調査活動を続けていらっしゃいます。生態学から出発され、森林とそれをとりまく社会をふくめた地域研究のアプローチを採られており、近年ではNGO活動にもとりくんでいらっしゃいます。(阿部先生プロフィールはこちら

阿部先生はこのたび、UNEPの絵画コンクール審査員のお仕事でケニアにおこしですが、ケニアの森林についても、Karura Forest、Kaya Forest(世界遺産指定)を視察されました。セミナーでは、コースト州のKayaの森視察のお話を中心に紹介され、エコ・ツーリズムがどのようなインパクトをもつのか、どのような点に着目するとおもしろいのかを、日本の事例なども交えて展開され、世界の学会でのコモンズ研究の潮流と、先日日本で開かれた国際コモンズ学会についても紹介されました。

P1020617

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

〔コメント〕

阿部先生のご発表、およびセミナーに先立って同行させていただいたコースト州のkayaの森(世界遺産指定)視察に触発されて、ここでは文化人類学・社会学的な視点から、いくつかコメントしたい。

最近20年ほどで、東アフリカの森林と地域社会に関して、重要な制度上の動きがふたつある。ひとつはコミュニティ参加型の森林資源管理というスキームが、農業省森林局などによる一極集中管理型機関の解体・分権化の流れとともに出てきたこと。これによって、森林資源の利用と管理にまつわる決定ついて、住民組織やローカルNGOなどが関わることとなった。もうひとつは、世界遺産認定などとも相乗したエコ・ツーリズムの可能性が浮上したこと。アフリカといえば野生動物が観光の花形だが、あらたに森林ツアーなどが組織されることで、周辺住民のインカム・ジェネレーション活動の可能性とともに注目される。

こうした現状の動きに対する開発学からの関心のもたれ方は、コミュニティへのエンパワーメントだ。文化人類学・社会学からはどのような現象として興味深いといえるだろうか。私は、文化の再帰的実践、および文化の再創造という2点が関心として挙げられると思う。

文化の再帰的実践(reflexive practice of their culture)とはなにか。これは、観光などによって自文化についての自己言及的なふるまいが増えることを指す。通常、自文化は説明できない。例をあげれば、日本において、入学式には紅白の幕が用意され、葬儀には白黒の幕が用意される。かりに調査で日本に滞在しているアメリカの文化人類学者に「なぜそうするのか」と聞かれても、特別に調べて勉強した者でなければ説明することは難しい。あまりにあたりまえに「入学式は紅白、葬儀は白黒」を実践しているので、それが説明されることはほぼないからだ。だが、われわれはこの紅白の幕と白黒の幕とをとりちがえて用意することはない。このようにほんらい、文化は実践するものなのであり、実践の当事者はこの実践を誤らないだけで、その歴史背景や合理的必然性を解説できるわけではないのだ。ところがエコツアーでは、たとえばDigoの人びとがKayaの森を案内するときに自分たちの−正確には祖先たちの−実践を解説し、再演してみせる。このような自己言及的なふるまいは、いくらそれが「伝統文化」に関するものであっても、たんに生きた伝統文化を実践していることとは位相の違ったことなのだ。

文化の再創造(re-creation of their culture)とはなにか。上記のごとき文化の再帰的実践のおこなわれる場では、同時に文化の再創造もおこなわれる。この再創造にはふたつの局面がある。ひとつは、文化の内容の再創造だ。伝統文化の内容が、先の紅白幕・白黒幕のようについ昨日までコミュニティによって実践されてきたものならば、その内容は今日も明日も繰り返しそのまま実践できる。ところが、すでに実践者が非常に少なくなっている場合や、10年以上も実践されなくなっていた慣習の場合には、そうはいかない。DigoをはじめとしたMiji-Kendaの人びとにとって、kayaの森はすでに「故地」となって久しいところだった。阿部先生との視察で会った長老たちのほとんどは、kayaの森の外で生まれ育っている。とすると、われわれがかれらに聞いたkayaの森の説明は、伝承をもとに、伝統文化の内容をかれらが再構成したものにほかならない。

文化の再創造のもうひとつの局面は、そうした再構成の原動力であると同時に効果ともなっている、伝統文化そのものの価値の再創造(再評価)だ。世界遺産に指定され、外部の人びとからの観光の対象となる−したがって、かれらの収入源ともなる−ことが意識されれば、それはあらたな資源となる。再構成の原動力の具体的なもののひとつが、伝統文化の解釈と翻訳だろう。観光客、そして現代に生きる自分自身に解釈可能となるように、伝統文化の実践内容は簡略化され、あるいは現代的な文脈に措き直されて説明される。案内役のある長老は、「kayaの森はわれわれの遺跡(ruin)であり、state houseである」と言い、別の青年−かれは大学で観光学を勉強している地元の青年だった−は、「co-existing nature and culture」というコンセプトを先祖伝来のものとして紹介し、森のなかにある数々の伝統的薬草とその用法を解説しながら「これはわれわれの文化遺産であり知的財産として登録すべきものである」と述べた。こうした説明が、かれらがかつておこなった文化実践を考証して正しいかどうかということよりも、そのように翻訳・再解釈しているところに注目したい。この意味で、再創造は「再想像(re-imagination)」でもある。

次に、そうして外部からの観光客(ゲスト)に対して自文化に説明を与えるガイドは「ホスト」というよりはメディエーターとして、特権的な位置を占める。コミュニティの誰もがみずからの伝統文化を説明できるわけではないからだ。ひょっとするとかれらは、ゲストとコミュニティとのあいだのメディエーターに徹するわけではなく、みずからのコミュニティに対しても、自文化を説明し、価値づけ、エンパワーするような存在としてふるまうかもしれない。そしてもちろん、観光収入を管理する世俗的権力としても、コミュニティのなかで新たな位置を得ていくだろう。地域社会におけるエコ・ツーリズムの担い手となる住民組織やローカルNGOという組織的体裁は、その権力の正統化のための意匠としても解釈できる。

このような状況が、伝統文化と地域、観光とをみていくさいの文化人類学・社会学の関心であり、これまで述べてきたことのいくつかはアフリカの地域社会に限らず、日本国内についてもあてはまることでもあるだろう。ただ、視察したkayaの森は、世界遺産指定されてはいるけれど、観光スポットとして派手な成功をおさめているようにはみえなかった。演出も、それほど洗練されたものではなかっただけに、これまで私が述べてきたことがよりむきだしで、観察しやすい状況にあるとも思えた。この種の調査をするならば、成功した大規模な観光地よりも、そこそこ制度化されてはいるものの、それほどうまくいっていないところに眼をつけるのがいいかもしれない。

(白石 壮一郎)

COPYRIGHT © 2012 Japan Society for the Promotion of Science, Nairobi Research Station AllRIGHTS RESERVED